夢の話

夢を見ることがあるでしょうか。僕はそんなにありません。寝るときは素早く、深くなので気付いたら朝になります。ある程度、どの時間帯でも寝ることができるため夢を見る時間なんてのもわかりません。

ずっと昔は夢を見ていました。そしてその中で必ずといっていいほどある場所にたたずむものを見ました。

全く記憶にない場所で、大体同じ時間帯(夕方に近い昼)の夢でした。特に超常的なことは起こらず、ただ食べ物を食べようとしたり次の目的地に向かおうとしたりする夢で、面白みはありません。まるでもう一人の自分が他の世界で生活しているような、凡庸というか現実的というか…。ただ、なぜ行ったこともない場所の夢を見るのか不思議でした。

誰かが「夢は潜在的欲求の表れ」と言ったのは有名です。誰が言ったのかわかりませんが僕はこのことを全く信用していません。いつも見た夢が前述のようにあまりに平凡かつ無意味であったからです。夢は突然途切れ、朝になっていて続きを見たくても見れないような、歯がゆい思いをしたことも覚えています。一体自分は何を求めていたのか、答えが全くわからないため「潜在的欲求説」は僕の中で間違いです。

 

ある日、一つ変わった夢を見ました。猿の神の夢です。

乙女座に位置していると名乗る神は僕に対して「おまえも神の世界に来ないか」といったような問いかけをしてきました。曰く、神の世界には争いも平等も、誰を嫌いで誰を好むなどが存在しない、完全な形の愛がある。というのです。人間の持つ愛は不完全でもろい物だと言いました。

なんてことでしょうか。そんなんいうたら神になりたいわ!って感じですがなぜか僕は人間でいることを選びました。夢はそこで終わってしまいます。

僕が500年ほど前に生きていたなら天啓と捉えて宗教でも起こすところです。あるいはもしかしたら本当に神がそこにいて、神になりたいと答えたら(現実の)僕は死んでしまっていたかもしれません。

僕は起きてから考えました。なぜこんな夢を見たのだろう、神になりたいのか?人間関係に不安があるのか?わかりませんでした。特に思い当たる理由は無かったのです。

 

結局、なぜ夢をみるのか分からずじまいです。支離滅裂で断片的、でもどこか現実的な夢は少ない情報量の中で何を語ろうとしているのでしょうか。

平安時代の人は相手が自分に対して発する強い感情の表れ、という現代とは逆の発想をしています。あてこすりのような気もしますが、人間の及ばぬ力によるものが夢を見せているというのはなんとなく、まあわかる、くらいに思えますね。ロマンチックなので。