厳しいお客様の思い出(20代女性・接待業)

バーテンダーとしてアルバイトをして4年、厳しいことと楽しいことは波のようにやってきました。働き始めたときは洗い物も遅ければカクテルも作れず、話がうまくいかずただ邪魔な存在でした。カウンターにいるだけつっかえてしまうので、フードの洗い物を任されて1ヶ月くらい様子を見ていたこともありました。自分に何ができるのか何ができないのか、それさえもわからないのが本当の初学者というもので、まさにそれを体現していたかと思います。

さて、自分は今まで何人か非常に厳しいお客様と向き合ってきました。以下ではそのうちのひとりを挙げてどう向き合ってきたか思い出っぽく記したいと思います。


当時高級点で働いていたこの女性は自分が初めてお話ししたお客様のひとりかと思います。仲良くなるまでには1年くらい時間がかかりました。このお客様と似たような性格の方もいらっしゃいますが、基本的には馬が合わず仲良くなったのはこのお客様くらいでしょうか。16歳からこの環境に身を置いているこの方は独特の観念と厳しさを自分にも、他人にも有していて、簡単に言うと少し理不尽です。このため、ゆっくりゆっくりと糸をほぐしていく必要がありました。

会話

働き始めたころ自分が何もできなかったのは上に書いた通りです。ただいつまでも仕事が出来ないようでは給料が泣くというものです。そこで何とか先に進もうと、接客を学ぶことになりました。一番最初に身につけなければいけないのはやはり接客の要「会話」です。自分は別に会話が上手いわけでもなく話題も持ち合わせていません。むしろ、飲み会などでは人の話を聞くのが好きだったり、あまり話をせずしっぽりと飲むのが好きな自分には性に合っていないことが求められていました。そのため凡庸以下の会話術ではお客様から話題を引き出すことはおろか自分の事さえも話すことができませんでした。

普段の会話で自分はそこまで何かを考えて話すとか、理屈的なことはありません。ぼーっと話して忘れて同じ事を話して怒られることもよくあります。ただお客様の対応に関してはそうもいきません。どうしても「考えて話す」事が必要となります。嫌な感じです。

最初に選んだ話題は「天気」でした。今でもよくこの話題は使うのですが、それだけハズレがなく広げやすいものです。例えば今日12月14日はここ数日でも冷え込んでいます。冷え込みますね、ということから「暖房は付けましたか?」「乾燥しますよね、保湿とかはどうするのですか?」「暖冬が続きますが今年はどうなんでしょうね」…さらに服装やおすすめのカクテルまでも話すことが出来そうです。しかしながらその時話の広げ方がわかっておらず「そうね」「うん」と返されてしまえば会話が終わってしまっていました。一生懸命話しても「この子、つまんなーい」と言われるまでそうかかりませんでした。

自分は考えました。この人は俺に何を求めているんだろう…ギャグ?オチがしっかりしたネタ?専門知識?時事?…わかりませんでした。そのため時間をかけて、店長たちが基本お相手をして隙間ができたときにちょっとだけ会話をして掴んでいく、そういった方法を採ることにしました。少し環境に甘えました。後になってわかったことなのですが、その方は自分に何も望んでいませんでした。望むだけの価値が当時の自分にはなかったということです。

あるとき、何にも反応しなかったなかで一つ食いつきがよかったものがありました。自分が学んでいる音響のことでした。今日もそんなに聞いてくれていないだろうと思いながら独り言のようにその日学んだことを投げかけていたのです。「もっと話して〜」と言われたとき、とても嬉しく思いました。まさか興味を持ってくれるなんて、自分は水を得た魚のように話を進めました。その時でした、店長が現場に復帰しその方の話の興味はそちらに…音響の話はただの繋ぎに過ぎず、ラジオのような感覚だったのでしょう。その日はそれ以降音響の話をすることがありませんでした。

しばらく日は経って、疲れた顔でお客様がいらっしゃいました。遅い時間で、少し酔いが回っているようでした。何を話そうか考えましたが、疲れた顔にこの間のような自分の専門知識なんて投げたくはありません。そこでゆっくり聴いてくれるかもしれないと思い、悩んでいることの相談をしました。しばらく話している内に、お客様のほうからも悩みを打ち明けてくださいました。なんと言うことか、その方は自分に、弱さを期待していたのです。その根底は仮にも九州の最高学府に所属している自分と高校に行かず夜の世界で働いてきたお客様自身との対比でした。気付かなかったとはいえ自分にとって普通の環境の話題を相手に押しつけてしまったことを恥じました。

自分は職業に貴賎なしという立場ですし、たとえ高名な大学でものうのうと過ごしている学生よりは社会で苦労されながら働いている方のほうがよっぽど立派だと思います。しかしながら自分の学歴が相手にわかると、どうしても卑屈になってしまう方もいらっしゃいます。言うまでも無いですが、人に価値なんてつけられませんし学歴は環境による必然です。そこに本人の意志が関わってこられるかというと(一部例外的な人も見ましたが)そうではないでしょう。無意味な比較によりお客様は自身を傷つけてしまっていたようだと考えました。わかってしまえばあとは誠意を持って対応するだけです。いつもより落ち着いて上の様な自分の考えを伝えました。ついにビールをおごってくださいました。それが自分に価値が生まれた瞬間でもありました。

もともと自分は悩みなどを人に相談することが稀で、自分の行動も明かす方ではありません。意図的に隠しているわけではなく長年の癖が染みついたものなのですが、時にはその抵抗感を乗り越える必要もあるのだなと身をもって感じました。

また、壁を作っていた要因は自分の高慢さと自己中心的な考え方です。なかなか気をつけていても変えられない部分といいますか、変えたい部分ではあるのですが、直接的にダメな部分を自分が感じるとやはり傷つくものです。(自分の性格に自分が傷つくのも変な話ですが)

ルートはもう一つあった

そのお客様は尽くされることに慣れた方でした。そこが我々の常識の概念と異なり、ご期待に添えかねない要求が散見されました。例えば、お帰りになるときにタクシーを店の前に呼び鞄を持ってお見送りする、「いつもの」を言われずとも出す、氷は一つ泡はなし、まずはその日のドレスを褒めることから…出来るだけの対応はしましたが、忙しいときは満足にいきません。それでご機嫌を損なわれることもありました。

自分はあまり気が回らない方なので、要求を感じ取り行動するのは苦手です。当然こういった要求に一つ一つ気付き行動するのは難しいことでした。しかし店長を見るとそれがとても上手い。なるほど会話があまり無くてもお客様が楽しそうなのはそういった気の回し方が素晴らしいからなのでした。自分も一度だけ忘れ物を急いで届けたとき(結局タクシーを自転車で追いかけてお客様の家の近くまで行く羽目になりました)見たことのないような笑顔をされたことがありました。気を配ることに長けた人ならば、あるいは気を配ることに努力すれば会話でなくとも自分に価値を生むことができたやもしれません。


バーテンダーは難しい職業です。お酒を飲みに来る人は飲みに来るだけの理由があります。自分には少しずつでしかそれを学び取ることができませんでした。このお客様1人をとっても、話術に長けた人でしたら楽しいお話で場を盛り上げすぐに打ち解けられたでしょうに、そういった力がなかったために暗中模索の日々、それは苦しいものでした。

世の中には自分の常識では到底考えていなかったようなことをする人がいます。良い意味でも、悪い意味でもです。期待を裏切る・裏切られることが日常茶飯事で、逆に想像もしていなかった果実をもたらしたり、そうしてくれることもあります。その振れ幅が大きいほど、悩みは深くなり喜びも大きくなるものです。そういったものが人間らしさなのかもしれません。お酒がそれを浮き彫りにさせるならやはりなくてはならないツールです。自分が苦しんでも人の幸せに乾杯したい、そう思ったところです。