我々は大学でどう学ぶべきであったのか

 このところの就職活動を通して思ったことがあります。そして、先日あった合格発表、もう新しい大学生が入ってくる季節になってしまいました。Twitterではそのうちの何人かが自分のような人をフォローしてくれましたね。そんな中、やはり下の世代に伝えておかねばならないことを意識した次第です。

 以下に書かれていることは直近で学んだことを通した独り言の延長であり、実現が難しいことかもしれないです。なぜなら私たちはその構造の中に自然と取り込まれているからに他なりません。ただ考えること、これだけはどのような状況においても自由なのです。これを通して考えることをやめないでほしいと切に願います。また、これを読んでどうして学徒が過激な思想に走ることがあったのか、その芽生えは何だったのかなど考えるのもアリです。


 さて、何を書いておきたいかと言うと、大学で何をどう学ぶべきなのか、また私自身が何をどうやって学ぶべきであったのかです。これは具体的な教科ではなく、大局観のようなぼんやりとした方向性の話です。

 社会の話をしましょう。投資をしても、就活をしても、資本主義というものは密接に私に関わってきます。全てのモノやサービスをひっくるめた資本は商品となり、効率化のもと市場に流れ私たちの元にやってきます。最近は猫も杓子もDXだのAIだのと言う世の中です。あらゆる企業がこれらデジタルの技術を活用し、より良い未来を目指しています。デジタル技術を使うことで効率化をする、より精密な制御を可能にする、記録の正確性を担保する。その結果生まれるのが「よい商品」なのだと社会は我々に訴えかけます。ここで考えましょう。本当に我々の社会は良くなっているのか? どうでしょうか。スマートフォンは新しい世界の扉を開き、情報の流れを格段に加速させました。素早い情報で災害の備えを万全にすることができ、疫病が蔓延する世で客観的な判断が下せるようになりました。一方で我々が発信する「無料の」情報は宝の山、GoogleやFacebookといった世界的なサービスを持つ企業は我々がどのような時・気分・場所でどのようなものを好むのかをいつだってのぞき見ることができます。また特にこのことを考えて欲しいのですが、デジタル技術を通して便利になった世の中で、我々が真に楽することが出来るようになったのか?難しい問題ですね。

 カール・マルクスの考えを引用しましょう。わっ左派だと警戒しないで下さい。マルクスは物質代謝という考えのもと、資本主義の批判という形で、起稿から150年も経った今をある意味で予知していました。物質代謝とはわかりやすく言うと人と自然は一つの繋がりの中で循環している、といったようなものです。大規模農業を思い浮かべてみます。広大な土地に地下水をくみ上げて水をやる畑を作り、最新の巨大な農耕機械で栽培します。都市部の人は安定的に安い野菜を求めますから、多く作りさらに畑を拡大します。価格競争が激しくなると土地に無理をさせてまで連作するでしょう。するとあら不思議、地下水が涸れ土地の栄養は無くなりそこに価値が全く無くなってしまいました。人間が利潤を求めるあまり、自然を通して人間が不利益を被ったのです。これでは人間も、自然も全く持続可能ではありません。

 持続可能?どこか聞き覚えがあります。SDGsですね。あ〜就活でも大事なやつです。でも持続可能持続可能って、なんか言うだけで偉いでしょみたいな雰囲気になってませんか。環境に悪そうな素材は使いません、女性に平等な権利があります、そうですね、大事です。けど、どうしてか「持続可能」に熱を感じないことが多いです。これは我々の世代で大きく問題になるであろう便利さ、もっというと資本主義の弊害によるものではないかと考えます。不況からの脱出を意識し徹底的に効率化や利潤、数字を追い求めるのが当たり前になった世の中、さらに情報網の発達などもあり、我々は資本主義の「利潤を求めるあまり人間性を度外視してしまう」などといった悪いところにどっぷりと浸かってしまった。そして何よりもそれを自然と受け取ってしまっているのです。だからこそ、持続可能という円環型のモデルではなく、直線的なモデルで世の中を把握してしまう。

 この波は呼ばれざる客として教育界にもやってきました。我々が苦しむ「人の数値化」です。大学では当たり前になってしまったGPAです。プログラミング界でもスコア化が盛んですね。どれだけの単位数で成績がどう良かったのかだけを判断基準にする諸悪の根源とも言えます。これが何を引き起こしたかと言うと、本来知的好奇心によって突き動かされるべき学びのエネルギーがシステムに飲まれ虚無に落ちてしまう現象です。数値によって研究室が決まる、数値によって卒業ができない、数値によって企業の選考が左右される。そのために大学生は数値を追い求める。何が起こったかもうすでに新入生でも分かっているとは思います。まずは第二外国語、簡単に単位をくれる先生の授業を取る、興味の無い授業、Aがくるしとりあえず取るか、違うキャンパスまで行って単位とって選考有利にしたいな、なんてことでしょう。何のために大学まで来てるの? 本当は「興味の無い授業」なんて存在してはいけないはずじゃないのかな。

 かといって、誰も責めることはできません。人の数値化によってある場面では利潤が生まれるのですから。この利潤を求めて生きていく世の中では誰も悪くはない。現代社会そのものの病気なのです。私だってこの波に飲まれてしまった一人です。そしてきっとこれからも飲まれるのでしょう。だって病気の一部になりに行くのだもの…泣いちゃいますね;;

 結局何が言いたいかというと、大学は最後の砦なのです。大学の制度はもう病に蝕まれてはいるけど、我々は仮にも最高学府と呼ばれる所まで来た人材なんです。自分も親も努力して大学まで来たのに、せっかく好奇心だけで純粋に学びを深められる機会なのに、どうして自分からシステムに飲まれようとするの。私はそれがとても悲しいことに思えました。だからこそ自分の内的な衝動に正直に生きて欲しい。簡単に言うと自分の学びたいところを徹底的に学んで欲しい。自分は自分だけなのだから。お前も正しい、でも、俺はこうだから、そんな姿勢で大学生活を楽しんでほしい。

 いつも通り、様々な意見を歓迎します。DMでも、飲みでも、誰でも待っています。